歯科医療が社会から信頼を得るには、う蝕(虫歯)や歯周病(歯槽膿漏) の予と取り組むことであると思う。医療全体が治療より予防へと変革が迫 られており、そのパラダイムを歯科医料担当者が築けるとさえ思っている。 そのようなスタンスを持たずして8020運動の達成は、無理と考えている。 1998年5月号の Nature Medicineにう蝕予防ワクチンの論文が発表さ れた。イギリスの研究グループは、mutans の付着を抑える抗体を植物で 作ったという論文を1995年 Science に発表し世界の注目を浴びた。今回 彼らは、植物から回収した抗体をヒトの歯面に塗布すると mutans が定着 しないというデーターを中心に発表した。次の段階では、日常的に口の中 に抗体が入り込んだり、食物によってmutansを駆逐してくれる抗体を産生 させることができるかもしれない。事実、腸管出血性大腸菌などを標的とし て、その毒素を中和させる抗体を産生する抗原をポテトに作らせることに 成功したと言う研究が、上述の次の論文として掲載されている。 我が国のう蝕の減少率は、他の先進諸国に比べるとびっくりするほど低 い。う蝕の減った北米では2080、すなわち20歳に達した者の80%には、 う蝕がないというデーターがある。主としてフッ素の利用による効果である。 ところが、我が国では世界に類を見ない高齢社会を迎え、高齢者の歯根 面う蝕の激増があり、その予防や治療に歯科治療の真価が問われている。 歯根面でもmutansのう蝕原生が、その鍵といえる。今後、植物から取り出 した抗体や、上述のようなポテトを食物としてとればmutansが排除でき根 面う蝕も予防することが可能となろう。 キシリトールは1997年4月17日厚生省が食品添加物として指定した 抗う蝕性甘味料である。甘さは砂糖と同程度で口の中で爽快感がある。 Mutans菌の活性を抑え、歯の表面へ菌の付着を阻止し、産の生成をもた らさない。その上に唾液分泌を高めて、歯の石灰化を促す。かって小窩裂 溝が着色していたりすれば初期う蝕として診断され、治療がなされたが、今 は要観察が基本である。キシリトールやフッ素の使用により再石灰化を導く ことが可能になったためである。う蝕予防を目的として長時間キシリトールを 口腔内に留めるチューイングガムやキャンディーは、う蝕予防に加え再石灰 化をもたらす効果があるということで爆発的な人気を呼んでいる。 キシリトールはカバやブナなどの広葉樹から取り出され、フィンランドのチュ ルクで研究されたことからチュルクシュガーとも呼ばれる。また1〜5%の濃 度でmutans菌群だけでなく、肺炎の原因菌となる咽頭部の肺炎連鎖球菌な どの発育を、ある程度抑えることがin vitroの実験で、明らかにされた。肺炎 は、寝たきりの人達や老年者の死亡原因トップであり100年前にDr.オスラー が「肺炎は老人の友」と言っている。老人の命を狙う肺炎の病原菌は、口腔・ 咽頭にひそんでいることなどは前回で書いた。老年者の甘いものを食べたい という要望は強いため、砂糖ではなくキシリトールは彼らの健康維持に魅力的 な甘味料といえる。しかし、全面的に砂糖に代えてキシリトールという訳にいか ない。なぜならキシリトールは消化管の吸収がよくなく、一度に20gもとると下 痢を起こしてしまうためである。そのためチューイングガムやキャンディーにし か使えない。 フッ素がう蝕予防に貢献しているのは、キシリトールどころでないと考えてい る。従ってキシリトールはフッ素を凌ぐほどのう蝕予防効果を発揮するとは思 われない。当分の間は、キシリトールとフッ素の組み合わせをうまく行なうこと に期待している。フィンランドでのう蝕の低下をもたらしたのはその組み合わせ であると確信している。フッ素、キシリトールそして我が国でも研究の進歩がめ ざましいう蝕予防ワクチンが実用化されるようになれば、う蝕の治療を中心とし た歯科医療は変わる。その反面、歯周病は高齢者を中心にさらに増えることが 予想される。近年、歯周病を起こす細菌は全身の健康を脅かしていることが次 々に証明され、そのような論文が怒涛のように増えてきている。口腔領域の感 染症から波及する疾患を予防するという点でも私たちの責任は大きい。そして そのパラダイムを築けるのが歯科医療であると確信している。 東京歯科大学微生物学講座教授 奥田克爾先生 1943年生まれ。1968年東京歯科大学卒業。1989年東京歯科大学微生物学教授 歯周病原菌の分子生物学および免疫学を研究し、著書に「デンタルプラーク細菌の世界」 「口腔の感染症とアレルギー」など。 厚生省長寿科学研究「老年者の口腔衛生とQOLに関する研究」の主任研究員 |