くさいのは私?満員電車でおびえる 

満員電車の中。一人がコホンとせき払いをした。何げなく、口元に手をやる人もいる。
どこにでもある光景。だが、乗り合わせた二十代の女性は、そのたびに身を硬くした。
〈私の息がくさいんだ〉すいている電車の中でも落ち着かない。向かいの座席に座った中年男性が、つまようじを取り出してシーハーやりだしたのを見て、悲しくなった。
「私への当てつけに違いないんです」。女性は泣きながら医師に訴えた。
実際は口臭がないのに、「くさい」と病的に思い込む症状を自己臭恐怖症、または単に「自臭症」という。この女性は典型的な例だ。

都内のいくつかの病院に設けられた口臭外来は、こうした悩みを持つ人たちの「駆け込み寺」となっている。西新宿の高層ビル街の一角、東京医科大病院の歯科口腔(こうくう)外科に八年前、設けられた口臭外来にも「自分のにおい」におびえる人々が、年間三百人以上訪れ、右上がりで増えている。
外来を受け持つ歯科医師の東條英明さん(三九)によると、自臭症が患者の八割近くを占め、二十歳代と四十歳代にピークが見られる。女性が多いが、男性のほうが症状が重い場合が多い。環境に適応できない人や、逆に中間管理職となった企業戦士のように環境に適応しようとしすぎる人などだ。
歯周病や消化器の病気などで他人にわかるにおいのある「他臭症」は、原因さえ取り除けば治療できる。

自臭症の治療には「口臭測定機」が威力を発抑する。家庭用血圧測定機のような機械からホースが伸び、ストローをくわえる。においの「主犯格」の一つ、揮発性硫化物(メチルメルカプタン)の濃度が四段階で電光表示され、液晶と印字で詳しい数値と判定文も出る。
「においはありません」と、このデータだけで患者を納得させるのではない。主観にとらわれがちな患者と一緒に、どこに原因があるのかを一つ一つ体験しながら、心の殻をほぐしてゆく。この「認知療法」では、口臭除去剤を使用したり、日記をつけてもらったりして、客観性を高める工夫がなされている。
口臭測定機を試してみた。実は、くさいのでは。そんな恐怖感に、ふと襲われた。印字された紙は「リョウコウデス」。ほっとした。

このほか、自律訓練法などの心理療法や、精神科など他科との協力も行われる。「においがなくなったような気がします、という言葉が出たら、もう大丈夫」と東條さんはいう。
「ひと」のにおいが嫌われる時代だ。
「くさい」という言葉はいじめの武器でもある。都教委によると、最も多いいじめ方は「言葉による冷やかし・からかい」だ。東京心理教育研究所(豊島区)所長の金盛浦子さん(五八)によると、いじめの言葉の中でも「くさい」といった言葉が圧倒的に多い。
「かつて、ふろに入れないなど貧困をあざける意味で使われた言葉が、朝シャンブームのころから、不衛生さそのものを侮蔑(ぶべつ)する言葉になっている」と金盛さんはみる。
においと人間関係について、社会学者の宮内泰介さん(三四)はいう。
「ムラやイエの時代と違い、いまの社会はにおいを共有化しにくい。そういう社会で人間関係を結ぼうとすると、自分のにおいが相手との障害になる、と思いがちになる。自分のにおいを消そうとする無駄な努力は、そこから始まるのです」
相手に嫌われたくない。ひたすらそう思って、自分のにおいを消している。これが、「異臭」に振り回される、私たちの姿なのかもしれない。
恋愛が冷めた途端、相手のにおいがいやになる。そんな経験、ありませんか?